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ソニンさんの情報を掲載しているサイトです。

バイオグラフィー/2002年


2002/2 ユウキ復帰

2002年2月、ユウキが復帰し「青春のSUNRISE」をリリース。

一人でやりたいんですけど・・・。

2002年3月25日、「Matthew’s Best Hit TV」に2人で出演した際に、和田氏に「ユウキが戻ってくるんだけどどうする?」と聞かれ、ソニンは「一人でやりたいんですけど・・・。」と、答えた事を明かしている。

「青春のSUNRISE」発売イベントで、ユウキは自身の失踪について「仕事の事で頭がいっぱいいっぱいになっちゃって、抜け出しちゃったんですけども、休業してる時に、それがいけないと自分の中で気付けて、こうして皆さんの前にまた戻ってこれてすごい嬉しいです。」とコメントした。PVの中や番組に出るたびに、ユウキが謝るなどをしていた。PV内でユウキが切腹をしようとし、ソニンが止めるというのは和田氏のアイディア。

ごめんね


2002/4 ユウキ脱退、EE JUMP事実上解散

2002年4月、ユウキが不祥事を起こしたため(フライデー)、ユウキは脱退しEE JUMPは解散となった。発売が予定されていたアルバム「EE JUMP COLLECTION 1」が発売中止となり、レギュラーだったラジオ番組なども打ち切られ、仕事が殆ど無い状態となった。

ユウキ脱退と、アルバム発売中止、について聞かされた当時の心境を「深夜の星 走れソニン 日韓500キロ涙の走破」の番組内でソニンはこう語っていた。「一つ一つ自分の夢が叶いそうになる、っていう所でこういう事件だったから、目の前で夢とかが音を立てて崩れ落ちていく感じだった。」

EE JUMP COLLECTION 1

和田氏は同番組内で「ジャケットから何から、全部出来上がっていたアルバムが発売中止になり、レコード会社からも、この先一緒に仕事が出来ません、という宣告を受け、今は何も(見通しが)無い」と語っている。


その後、マラソン企画までのソニン

スケジュールが真っ白になったので、自主練習やボイストレーニングを行っていた。これは、ソニンの性格を見抜いている和田氏が、何も指示をしないと、家にずっと篭りぼーっと一日中悩んでいるだけだろうからと、レッスンを受けさせた。携帯サイトの当時のソニンの日記には、「今日もレッスン」「10日ぶりの仕事」など、切羽詰った状況が書かれていた。


「うたばんへの相談」

2002年6月13日、ソニンはマネージャーの和田氏と共に、歌番組「うたばん」のスタッフの元へ相談に訪れた。この様子は2002年8月28日に放送されたテレビ番組「深夜の星 走れソニン 日韓500キロ涙の走破」にて放送された。

一番の別れ道だと思っているので・・。 走った道のり。

思い悩むソニンに、うたばんスタッフが出した一つの決断が、”走る事”だったので、ソニンはそれに従い、自身が選んだコース、生まれ故郷の、桂浜から、宿毛港→(船)→博多港→佐伯港→(船)→釜山(韓国、プサン)→居昌(韓国、コチャン)の、570kmの長い道のりを走る事となった。走る姿を見てもらい、もう一度チャンスを下さい、と訴えかける事を目的としていた。

この放送では、テーブルを挟んで、うたばんスタッフと、和田氏、ソニンが話し合った時に、570kmと決めたように流されたが、実際の所は、和田氏と制作部デスクとの立ち話から始まった話で、韓国まで走るとそれくらいだからそれでいいんじゃない?的な、結構いいかげんなものだったとの事。レコード会社から、一回いらないと言われているので、今までの企画とは比にならない頑張りを見せなければならなかったため、ここまでの長距離となった。


570kmマラソン

走るソニンさん。 休むソニンさん。 走行距離377km地点

対したトレーニングもせずに強行。結果、途中で足が痛くなったり、雨が降ったり、発狂して耳を塞ぎながら走るなど、精神的に追い詰められる部分も多々あったが、三週間で無事に(徒歩も含め)走りきる事が出来た。相当辛い道のりだったことが、番組を見ると痛いほど伝わってくる。

精神的に追い詰められていた際、ソニン自身も「このあと病院行かなきゃいけない」と思っていたが、途中地点のゴールである博多港に着いて号泣したらすっきりとし、地元の美味しいものを食べてごきげんだったとのこと。

この事を和田氏は「発狂して耳を塞ぎながら走っている」と、現地スタッフから聞いて心配していたが、その後、「笑いながらメシを食っていた。」と聞いた。これについて、安心したのか、未知なる見込みがまだまだあると感じたのか、それとも呆れたのか、定かではない・・。


ソニンが走っている間に東京での状況が変わり、ソニンのソロデビューの準備が本格化。2002年7月4日までにファーストシングルのジャケット撮影をしなければならないと和田氏から告げられたため、途中から期限付きのマラソンになる。ゴールの居昌へは、期限に遅れそうになりながらも、何とかジャケット撮影日の前日にゴールし、無事完走した。


ジャケット撮影

570kmを走り終え、日本に帰って来た次の日に、衣装のイメージ図を渡された。「深夜の星 走れソニン 日韓500キロ涙の走破」では、翌日(2002年7月4日)に撮らないと間に合わない、と放送されていたが、まだ衣装が出来上がっていなかったと思われるので、数日後に撮影されたと考えられる。裸にエプロンは和田氏の考案。


2002/8/21「カレーライスの女」発売 ソロデビューへ

2002年8月21日に、TOY’S FACTORYからファーストシングル「カレーライスの女」を発売。ソロとしての活動を開始した。

カレーライスの女

歌詞は彼氏と別れた後の一人暮らしを描く失恋ソング。「ひとりでどんどん背負い込んでいく」というモチーフが企画段階からあった。 カップリングには「EE JUMP COLLECTION 1」に収録されるはずだった「愛はもっとそうじゃなくて」が収録されている。この曲の韓国語の部分は、日本語に訳すと「ねえ、初めて出逢ったあの時、私のこと・・・どう思った?何で教えてくれないのよ。私は言ったのに・・・。」と言っている。ライブでは日本語で言う時もある。

オリコン初登場8位。

収録曲

  1. カレーライスの女
  2. 愛はもっとそうじゃなくて
  3. カレーライスの女 (Instrumental)

ジャケット写真が当時話題となり、テレビ出演時には、その事に必ず触れられる様な状態だった。

ジャケット写真撮影時、裸にエプロン姿になるので、自分でニップレスを買いに行った事を、2002年10月3日に放送された「Matthew’s Best Hit TV」で明かしており、それをお笑いの面で森三中から褒められた。

「カレーライスの女」からギターを持って歌うスタイルが多くなっているが、ライブでEE JUMPの歌や「東京ミッドナイトロンリネス」などを歌う時は踊っている。


音楽新人賞

ゴールデンアロー賞 1 ゴールデンアロー賞 2 ゴールデンアロー賞 3

後の2003年3月2日に、ゴールデンアロー賞の音楽新人賞を受賞した。


津軽海峡の女


2002/11/20「津軽海峡の女」発売

津軽海峡の女 CD買って下さい。

2002年11月20日、にセカンドシングル「津軽海峡の女」を発売した。

オリコン初登場9位。

収録曲

  1. 津軽海峡の女
  2. MISSING YOU
  3. 津軽海峡の女(Instrumental)
  4. MISSING YOU(Instrumental)

売り出し路線、Etc

ジャケット写真は、前作の「カレーライスの女」に続きセクシー路線だった。衣装が着物調なのは歌のイメージで、上は白無垢だったものをアレンジし、パンツと合わせたものを着ていた。

カップリングには、EE JUMPの発売中止アルバム「EE JUMP COLLECTION 1」に収録されるはずだった「MISSING YOU」が、ソニンverとして収録されている。

セクシー路線で人気があった「カレーライスの女」関係者用PVビデオが、ネットオークションなどで不正に出回ったため、「津軽海峡の女」ではCD購入者3000名に抽選でビデオをプレゼントするキャンペーンが実施された。


2002/11/15 U-CDTV マグロ漁船の女

日本最北端に来て喜ぶソニンさん。 騙されたと気付いたソニンさん。

「津軽海峡の女」の発売と合わせて放送された「U-CDTV マグロ漁船の女」(2002/11/15)で、青森へ津軽海峡を見に行くだけの企画、と騙され、本州最北端の大間に連れて行かれ、マグロ漁船に乗せられた。が、海が荒れていたためマグロの一本釣りには出港したものの成功はせず、出来たのはイカ釣りだった。イカ釣り漁船の女・・。


2002/12/5 深夜の星 ソニンの新たなる挑戦 一人ドミノ倒し

また、「津軽海峡の女」発売前に、和田氏が歌番組「うたばん」に、”ソニンが、ソロになるという壁を乗り越えた事による、燃え尽き症候群になっている”というよく分からない相談を持ち掛け、結果、ソニンは6万個のドミノを並べる企画を半分無理矢理させられることになる。

この様子は、2002年12月5日放送の「深夜の星 ソニンの新たなる挑戦 一人ドミノ倒し」で全編放送された。

ドミノ倒し 1 ドミノ倒し 2 ドミノ倒し 3 ドミノ倒し 4 ドミノ倒し 5

内容は一人で6日間の期限に、54600個のドミノを並べるというもの。想像を絶する過酷さで、ソニンは精神的に追い詰められる場面も。普通は無理だと思うが、なんと期限内に並べ終える事に成功し、一人ドミノ倒し日本新記録となった(2002/12/5時点)。

何故、燃え尽き症候群にドミノ倒しなのかは、専門家によると「ドミノは倒すために並べる。この矛盾した作業に成功する達成感が、襲ってくる無気力を防止する。」らしい。


「裸にエプロン」や「マラソン企画」など、大変な企画をこなすことについて、当時のソニンはどのように感じていたのか、後にスコラ(2009年9月号)によるインタビューで、26歳のソニンはこのように語っている。
「当時は何も出来なかったし、目の前のことを必死にやるしかなかったんですよ。それを断ったら、次はないわけだし…。自分が必要ないと言われたらそれまでだし、選択肢があるうちは乗り越えないと…」



2001年 < 2002年 > 2003年


補足メモ

バイオグラフィー

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